|
【 昭和のガチャガチャマシン4連機 コスモス社製 】
ボクら昭和40年代生まれのおじさん達が幼かった頃の
「 ガチャガチャ 」 といえば赤い外装の "あのガチャガチャマシン"であって、
価格も 1回 10円 〜 20円くらいのものが主流だった。
現在は 1回100円 〜 500円のものまで 様々あって、
ガチャガチャマシンのデザインもスマートで実に小洒落ていて
昭和50年代のあの頃とは随分、さま変わりしたもんだ。
ボクらの良く知っている ガチャガチャとは
昭和という時代を映した 子供たちの ギャンブルマシン だったと記憶している。
そのギャンブルマシンは 街角のいたるところに設置されていたし、
ガチャガチャマシンの設置コーナーがあれば
悲しくも "子供らが散らかしまくったゴミ" で溢れかえっていたのを想い出す。
わかる人にはわかるハズ!!
【 子供たちの宿敵 コスモス社の大型ガチャガチャマシン 】
『 ガチャガチャはギャンブル 』 故に
そのハズレ率と、出てくる景品のいかがわしさをあげれば
壮絶かつ、凄惨、そして一旦ハマれば蟻地獄のように
ボクらのこずかいは、すべて吸い尽くされてしまっていた。
こと当たりの出現率という点でいえば、あれから40年経っても
さほど変わっていないところをみると、
その歴史、"ガチャガチャの伝統は脈々と継承されている"といえるのではないだろうか?
そして・・
『 もうぜったい ガチャガチャやらねー!! 』
と、毎日吐きすてながら帰路に向かっても、
なぜか次の日には懲りもせずに、ボクも、友達の『 やすもと君 』 も
放課後には いつものように子供の賭博場に、いつく始末であった。
当たりが出る前に、こずかいが 『 スッカラカン 』 になれば
家まで走って取りに行き、残った一人が
ガチャガチャの前で待機して他人に回されないよう見張り役になる。
なんのことはない
ガチャガチャマシンの中身が 空っぽに なるまでやり続けるのが
ボクらの流儀だったし、当たりが入っていない
『 オールハズレ 』
という やるせない気持ちは おさな心にも
『 ガチャガチャは社会の縮図 』 として、しっかりと受け止めていたものだ。
|
|